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ホワイトディ

2015年02月24日

〇由来

バレンタインディが終われば、次はホワイトディだ。もちろん、日本で始まった習慣で欧米にはない。でも、東アジアの一部(中国・台湾・韓国)では定着しつつあるらしい。バレンタインディが2月14日と知っていても、ホワイトディがいつかは知らない人はいるのではないだろうか?

3月14日である。兵士の自由結婚禁止政策に背いて結婚しようとした男女を救うためヴァレンティアヌス司祭は殉教した。その1ヶ月後の3月14日、その2人が改めて永遠の愛を誓い合ったと言われていることに由来するとなっている。


〇始まり

昭和40年代頃に製菓業界が個々に独自の「お返しの日」を作って、マシュマロやホワイトチョコレートを売り出した。“白(ホワイト)には「幸福を呼ぶ」「縁起が良い」という意味がある”と言う説からだ。

そんな中、福岡の老舗菓子屋が、昭和53年に「君からもらったチョコレートを僕の優しさ(マシュマロ)で包んでお返しするよ」とマシュマロを売り出したところ、その後クッキーやキャンディを発売する菓子屋が続出したのが始まりのようだ。


〇なせる業

バレンタインディやホワイトディは、製菓業界のなせる業に他ならない。日本人はそれに乗っかる性質を持っているのだろうと思われる。恵方巻きも海苔業界のなせる業なのをご存知だろうか? そして、数年前に大手コンビニエンスストアーが全国一斉に売り出したことによって広まった。ここ数年、福岡でも定着しつつある。私が幼い頃は、そんな習慣は福岡にはなかった。鬼のお面をかぶり豆を撒くだけだった。しかし、関西の方では恵方巻きを食べる習慣は以前からあった。


〇私のホワイトディ

職場の中で、女性職員皆で男性職員に贈った場合は、たいていホワイトディにお返しが来る。
でも、そう言えば個人的に贈った物で、一度もお返しをもらったことはない。
最大の義理チョコをあげている夫ですらない。


夫は、あげたら「ありがとう」と言ってくれ、「ゴディバだ」と言って美味しそうに食べてくれた。それだけでうれしかった。「まあ、ホワイトディはいいか」と言う気になったから、不思議なものだ。
  


Posted by sansanhiroba at 12:11Comments(0)日記メンバーコラム

ピンチを楽しむ

2015年02月24日

〇キーウエストへ

20年ほど前の夏に、友達と2人でアメリカのフロリダのオーランド(Orlando)に行った時の事である。ディズニーワールドとユニバーサルスタジオがあり、有名な観光地・保養地だ。友人が「ヘミングウェイの生家」を見たいと言うので、アメリカ最南端のキーウエストと言う町に向かった。キューバ・ハバナまで171キロ地点である。

これがアメリカ最南端を示す標識 →



フロリダから陸路で行くことができ、国道US-1号線が通っており、多くの橋が島々を結ぶ。途中一番長いことで有名なセブンマイルブリッジがある。長さは6.765マイル(10887m)である。

ノスタルジアフライトと言うことで、オーランドからマイアミ経由キーウエスト行きの飛行機に乗った。ひと昔を再現して、機内食はチーズとシャンパンで、CAのお姉さんがその場でチーズを切り、ガラスの容器で提供されるというものだった。服装もひと昔前のCAの服装だった。私は英語をしゃべりたくて、ひたすらCAのお姉さんに話しかけていた。

キーウエストでは現地ガイドさんがセブンマイルブッリジとヘミングウェイの生家を案内してくれた。セブンマイルブリッジは、海を背景にとても美しかった。ヘミングウェイの生家は、猫がたくさんいてちょっと物寂しかった。その後は自由行動だったので、キーウエストの町をぶらつき、名物のロブスターを食べた。19(ナインティーン)ドルだったのだが、90(ナインティ)ドルに聞こえて「高い!」と思い、ウエーターさんに紙に書いてもらってやっと分かった。本当に数字は聞き取りにくい。英会話教室に行っているが、数字は不得意だ。途中に会話が入ると前に聞いた数字を忘れてしまう。

      

夕日がきれいな場所が在り、沢山の人が大道芸を見ており、観光客であふれていた。そこで、20時に現地ガイドさんと落ち合う事になっていた。

〇奇遇な事

この旅には、奇遇なでき事があった。オーランドで、ホテルから空港まで案内してくれたガイドさんが日本人で、なんと福岡県春日市(私の住んでいる市)の出身で、よくよく聞くと、私のマンションの2軒隣りが実家だということだ。

「こんなことがあるんだ」と感動し、日本に帰ってきてからその実家を訪ねて行った。そのガイドさんは「数年前に日本のその実家に帰って来たことがある」ということだった。実家の人とお互いにびっくりし合った。




〇ピンチ発生

キーウエストからマイアミに向かう飛行中、私は寝ていたので分からなかったが、友達によると翼の上を電流が走っていたそうだ。マイアミに着くとキーウエストから乗っていたアメリカの人は降り、後はオーランドに向かう日本人10人ほどばかりになった。行きも帰りもCAは同じお姉さんだった。

そしたら、CAのお姉さんが私を呼んで、「今から言う事を皆に伝えて」と状況を英語で話し出した。「飛行機は故障して飛べないから別の便を探している。ここで待っていてほしい」と言う内容だった。お姉さんは、ずっと英語で話しかけていた私が一番英語は出来ると踏んだらしい。すでに夜の10時くらいになっていて、中には次の日早朝の便で日本に帰らなければいけない人達もいた。騒然とはならなかったが、個人々旅行会社に電話で連絡を取っていた。私たちの旅行会社は、「どうしようもない」と言う回答だった。確かに・・・。


しかし待てども別の飛行機は来ず、12時頃に「バスで、ハイウェイを4~5時間かけて帰ることになった」と言われた。その時も通訳をした。皆落胆していたが、私たちはハイウェイを走れるとうれしくなっていた。そして私はコンタクトを外して眼鏡にし、ワクワクしていた。

その時、お姉さんはバスの運転手さんに「英語が分かるのは彼女だから、何かあったら彼女に言って」と私の事を言っていた。バスの中は冷房が効きすぎていて異常に寒く、それを訴えるとそのお姉さんが毛布を用意してくれた。彼女は別れ際に「ごめんなさいね。」と言って涙を流してくれたほどいい人だった。

〇ピンチを楽しむ

他の日本人の人達はぐっすりと寝込んでいたが、私と友達は眠ってはいなかった。ハイウエイのドライブを楽しんでいた。途中、運転手さんが休憩のためにSA(サービスエリア)に停まった。アメリカのSAが見られると、ワクワクして運転手さんと一緒にバスから降りた。迷子にならないように、ちゃんと運転手さんの後ろを付いて行った。今にして思うと今の日本のSA(サービスエリア)とさほど変わらなかった思う。多分、運転手さんに言ってトイレにも行ったと思う。後で書いているが、訛りが強い運転手さんにもこれくらいは通じたのだと思う。とにかく、貴重な体験が出来たわけだ。

オーランド(Orland) に着いたのは、明け方の5時頃。「あなたたちのホテルだから降りろ」と言われたが、それは違うホテルだった。「違う」と説明するが、バスの運転手さんは訛りが強くて通じない。そこで私はひらめいた。運転手さんを連れてそのホテルのフロントに行った。フロントの人に「ここは私たちの泊まっているホテルではない」と言って「通訳をしてくれ」と頼んだ。すると、フロントの人が運転手さんに言ってくれたら通じたのだ。

我ながら、素晴らしい発想だったと思う。ネイティブなフロントの人だったら、訛りが分かるのだ。おかげで無事、ホテルに到着することが出来た。同じツアー会社で来ていて、朝の7時にピックアップされて日本に帰る人達も間に合ってホッとしていた。

ちょっと寝て、次の日は計画通りに行動した。こんな風に「ピンチを楽しむことが出来た」私たちは凄い!と思った。
  


Posted by sansanhiroba at 11:31Comments(0)日記メンバーコラム