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301.AME 昭和のTV回顧録 土曜日のお楽しみ

2015年07月10日

本日は土曜日である。前の日を休み、差し替えての出勤である。

今はTVが面白くなくて見る気がしない。その中で1981年頃の土曜日のTVは面白かったなと思っていた。昼間から夜まで・・・考えてみると昭和は良かった。


ませた子供だった筆者。幼稚園が半ドンで終ると真っ先に帰って12:00のTV。これは結構変化があって「独占!女の60分!」→「よしもと新喜劇」or「花の新婚カンピューター大作戦!」という流れだった。どれもおおよそ幼稚園卒業から小学校1年の見る番組ではない。しかし子供ながらに必死に番組の趣旨を理解しようとして見ていた思い出がある。その後午後1時にはここがピークか?「お笑いスター誕生!」である。当時は大好きだったアゴ&キンゾーが大爆発していた頃でとにかく彼らの3週目のネタでアゴさんの「ハーイ、私2年○組・古手川祐子でぇーす!」といってキンゾーから思い切り殴られていたのを大笑いして見ていた。とんねるずやコロッケといった大御所から現在俳優として活躍するでんでん、大竹まこと・斉木しげる・きたろうのシティボーイズなどが大活躍していたのもこの時代。さてこの後が「お笑いマンガ道場」であった。鈴木義司と富永一朗の丁々発止のやり取りは子供の自分でも大笑いだった。彼らはマンガというものに表現を織り込み笑いを取っていた。

夜になると「まんが日本昔ばなし」が始まる。非常に真面目な番組だったにもかかわらず、市原悦子と常田富士男の特徴的なやり取りが耳に残る。続いて「クイズダービー」。大橋巨泉の司会で明らかに子供の楽しむ番組ではなかったのに必死になって見ていた。大橋氏の司会ぶりもあるが、篠沢教授の「答えを知っているのは下品」という独特の発想が好きだった。そして「8時だョ!全員集合!」が始まる。「ひょうきん族」がまたない頃子供達の楽しみはやっぱりザ・ドリフターズであった。今だからわかる味があり当時は志村けんと加藤茶のインパクトがすごく残っている。この当時は志村けんの早口言葉をボイスチェンジゃーで高くしたものや会場の子供達が大合唱する「カーラース~なぜ鳴くの~?カラスの勝手でしょ~!」が楽しみだった。


しかし午後9時になるとガラリと雰囲気が変わる。「Gメン75」が始まるのであった。一気にハードボイルド路線に転換していた。番組は晩年を迎えていたものの丹波哲郎の貫禄は恐ろしいほどであった。そして最後は「ウィークエンダー」。事件を面白おかしく時には真剣に扱う番組。扱う題材がかなり凄惨な事件だったこともあり、PTAの批判も多く今であればかなりネット等で問題になりそうなものであったが、桂朝丸(現:桂ざこば)などのパワフルなトークと番組を粋にキレイにコントロールする加藤芳郎の感じがとても良かった。決して下品な番組ではなかったと信じている。

土曜日は1日TVに食いついていても決して不健全ではなかった。何しろ今のTVみたいに人をこき下ろし同じ人間ばかり出ているわけではなかったからである。  


Posted by sansanhiroba at 09:34Comments(0)日記メンバーコラム